2017年1月16日月曜日

「天職」と思える仕事に出会えたこと

子どもの頃、将来は何になりたいって思っていましたか?

私は昔から、空想するのが大好きで、様々な職業になった自分を空想していました。

幼稚園の先生に始まって、ピアノの先生、ケーキ屋さん、お花屋さん、小学校の先生、通訳、そして建築士。


年齢やその時の興味に応じて、なりたい職業が変わっていました。
今から思えば、その職業のマイナス面が少し見えてくると・・・

それは大変だからや~めた!


と簡単にあきらめ、また別な職業に憧れるということを繰り返していた気がします。

たとえばお花屋さん。
毎日きれいなお花に囲まれていいなぁ~と思っていましたが、冬は水が冷たくて大変な仕事なんだと聞くと、それは無理だ~とあっさりあきらめました。

まったくしょうもない子どもです。





学校卒業後、商社に就職し、IT部門に配属されシステム開発の知識を一から学ばせてもらいました。

システムは目に見えないものですが、企業活動を下支えしているという自負と達成感があり、大好きな仕事になりました。

お客様が望む理想的なシステムを提供することが何より大切な事だと信じ、やりがいをもって仕事をしていました。


システム開発に従事して20年近く経ってきたころ、何か違う・・・という漠然とした違和感を感じるようになりました。

お客様が望む理想的なシステムを提供することが、お客様にとって一番よいことなのだろうか・・・

本当に漠然とした違和感でした。


当時、起業してすでに十数年が経ち、いろいろと事情が変わり、システム開発の受注自体も難しい状況に陥っていたこともあって、結局、システム開発から、パソコンを教える仕事に移行しました。


当時会社がどんな状況だったかは、また改めて書きたいと思いますが、業績が悪化していたので、会社を縮小して、何をやっていくかを熟慮した結果、開発業務は終わりにして、パソコンを教える仕事に業態を変える決意をしました。


こどものころ、興味本位でいろんな職業にあこがれた私ですが、人に何かを教える仕事はずっとやってみたいと思える仕事でした。


それは私の親戚に教師が多かったからだと思います。

母方の祖父は師範学校の教師。
母の姉の旦那さんは祖父の教え子で大学教授でした。
また母の弟は小学校の先生。

父方の伯父も小学校の先生で、もう一人の伯父はお習字の先生。
母のもう一人の弟は先生ではありませんが、学校関係の仕事をしていました。

考えてみれば、学校に無縁のサラリーマンは父だけでしたね。


人に何かを教える仕事に就きたいと思っていた私が先生の道に進まなかったのは、自分の性格上向いてないと思っていたからです。

私は白か黒かはっきりさせないと気が済まない性格でした。
グレーとかあいまいとか中途半端が、許せない性格だったのです。

自分の好き嫌いがはっきりしているので、この人はイヤだと感じると、すぐ顔や態度に出てしまいます。もっともわざと出してるところもありましたが。。。


白か黒の二者択一の性格は過去形です。
年齢を重ね、今はあいまいも重要だと理解できるようになりましたから。


教師に向いてないと思った話に戻しますが。。
そんな性格なので、教師になってもえこひいきしてしまい、やっていけないと考えたのです。



でも結局、回りまわって、今は人に教える仕事をしています。

現在の私の仕事は、Excelで集計・分析をされている社会人の方々に現場で使えるExcel実務のスキルを教えることです。

この仕事に大きな喜びを感じていますし、毎日が充実しています。講師をやっている時間はとても楽しいです。

教える仕事は天職だと感じています。


自分の会社を続けていけない状況に追い込まれ、さんざん悩んだ挙句、会社をたたみ再出発した時も、生活のために正社員として勤務する傍ら、教える仕事だけは細々と続けてきました。



なぜ、天職と感じるんだろう?

理由を考えたことがあります。


今までできなかったことができるようになった時のお客様の笑顔。
わかった!との言ってくださるときの喜び。

それはもう何よりうれしい瞬間です。
味わったことのない達成感です。

一緒に喜びを分かち合える至福の瞬間です。


それが忘れられないというのが大きな理由だと思います。

それに、自分がシステム開発で得た経験や知識を伝えることで、お客様の問題解決に貢献できると感じることができたからです。

自分にも伝えられることがあると感じたからだと思います。


今の仕事は「人に寄り添う」喜びを感じることができるから天職だと思える。
そんな気がしています。


0 件のコメント:

コメントを投稿