我が家は公立中学の校区の一番端っこだったので、片道20分かけて学校に通っていました。
我が家から10分のところにある中学校は校区外で通えず、倍の距離がある中学に通っていました。
次男はもともとおなかの弱い子でしたが、学校へ行く途中に何度もトイレに寄り道しないと行けない状態になり、学校までたどり着けず家に戻ってくるようになってしまいました。
当時、私は自分の仕事以外にあるIT業界のNPOの活動もしていて、打ち合わせやセミナー等で終日出かけることも多かったのです。
学校へ行けず、家に戻ってきてしまった日は、必ず次男は電話をかけてきました。
状況を私に話したかったんでしょう。
私は仕事の合間に電話を受けながら、怒る事はしませんでしたが、今日は仕方がないけど明日は行ってねと話していました。
当時の次男の様子は、朝は少し元気がなく、おなかが痛いと言いつつ、トボトボと学校へ行く感じでした。
日中は家族が家にいないので次男は1人で過ごしていて、どんな様子だったかはわかりません。
日曜日など学校が休みの日、仲のいい友達が数人遊びにきてくれて、その時の次男はホントに生き生きとしていてとても楽しそうでした。おなかの痛みもあまり起きることはありません。
しかし・・・
学校へ行けない日がどんどん多くなり、ついに不登校になってしまいました。
毎朝学校へ行こうとするのですが、行けない日々が何か月も続きました。
実は、小学校からのいじめっ子が同じ中学にあがり、しかも同じクラスになってしまい、中学でもいじめてくると、次男から聞いていました。
中学生になり、いじめは陰湿化していきました。
担任の先生にも何度か事情を話し、もちろん小学校からの経緯も伝え、2年生になったら別なクラスにしてほしいと頼みましたが、結局、2年生も同じクラスでした。
たしか4クラスはあったと思いますが、なぜか同じクラスのまま。
悪いことに、いじめっ子が仲間を作り、陰湿にいじめを繰り返されたようで、2年生もあまり登校することができませんでした。
学校へ行きたくない理由を私なりにわかっていたつもりでしたが、今から思えば、何もわかっていませんでした。
私は、2人の息子たちを自分1人で育てること、生活していく事に必死でした。
自営の仕事のことで頭がいっぱいでした。
当時の私は「学校へ行くのが当たり前」という固定概念に囚われすぎて、学校へ行けない次男はどこかサボろうとしてるのでは・・・と思っていました。
私は次男を心の底から信じてなかったと思います。
サボりたいという気持ちがあるんじゃないか・・・、そんな気持ちが正直ありました。
片道20分の道のりを1時間以上かけても学校へ行けず、途中で引き返してくるのはなんでだろうと考えていました。
実際どうしてるんだろうと、ある日、一緒に学校まで行くことにしました。
「今日はお母さんと一緒に行こう~」
そう声をかけると、次男は少し安堵した表情したのを覚えています。
たわいもない話をしながら、学校への道を歩いていました。
半分ほど来たところで、次男の顔色がみるみる青くなり、あわてて公園のトイレに駆け込みました。
しばらくして・・
大丈夫? どうする? と声をかけると、行くというので、また歩き始めました。
学校まであと10分くらいです。
それから、また他の公園のトイレに駆け込み、最後は学校の目の前のコンビニのトイレ。
トイレをはしごしなければいけない状態だったんです・・・。
学校の目の前まできて、学校へ入れないのです。
私は涙が止まりませんでした。
次男はなんとか学校へ行こうと、毎日こんな苦しみと一人で戦っていたのかと思うと、涙が止まりませんでした。
1人けなげに戦っていた次男を、心の底から信じてあげられなかった私はなんてひどい母親なんだと・・・
仕事を優先し、しっかりと次男に向き合ってなかった自分は、なんてひどい母親かと・・・
十数年たった今でも、あの公園のトイレを見ると、胸が苦しくなります。
文章を書いていても、涙で画面がにじんでしまいます。
感受性の強い次男は、家族も祖父母も、周りの大人はみんな、学校へ行けないのはよくない事と思っていると感じていたと思います。
学校へ行けない自分はダメだと思っていたと思います。
一緒に学校へ向かったその日以降、私は仕事の関係先の皆さんに事情を話し、しばらくの間、次男と過ごす時間を最大限にとれるよう仕事を調整し、出来る限り家にいる時間を増やしました。
病院で精密検査を受けて、過敏性腸症候群という病気であることがわかりました。
中学の担任に相談し、スクールカウンセラーも付けてくれました。
しかし、何も進展はなく、毎年担任の先生にお願いしたことは無視され、3年生になってもいじめっ子たちと同じクラスのまま。
私はいろんな方に相談し話を聞いて考え抜いた結果、3年生になって腹をくくりました。
もう中学へはいかなくていい。卒業まで不登校でいい。
そう次男につげました。
いじめに向き合ってくれない先生方は真実を見ようとせず頼りにならない。
次男は私が守る。そう自分に誓いました。
次男に卒業式も無理して出なくていいと伝え、結局参加しませんでした。
学校からしつこく呼ばれ、職員室での1人卒業式をやらされましたが。。
次男の本当の苦しみを理解しようと努力してくれた先生は、最後まで現れませんでした。
次男は、専門技術が学べる高校に進学しました。
面接試験だけで入学できる高校です。
生徒のことを第1に考えるとても魅力的な高校でした。
校長先生は、3年間かかってもいいから学校に通うところから始めようと、温かい声をかけてくださいました。
高校は電車で片道1時間かかるところでした。
過敏性腸症候群の症状もまだ残っていましたが、なんとか皆勤賞をとることができました。
温かく見守ってくださる先生方に囲まれ、好きなことが勉強できて、あの辛い苦しい不登校時代を一人でけなげに乗り越えた次男の努力が報われたと思いました。
【2016.12 追記】
専門学校を卒業した次男は、無事に資格も取り、小さいころからあこがれていた企業に就職し、イキイキと社会人生活を送っています。
人のことを心から思いやれる、周囲から愛される優しい大人に育ってくれたことに感謝しています。
0 件のコメント:
コメントを投稿