子どもの頃、将来は何になりたいって思っていましたか?
私は昔から、空想するのが大好きで、様々な職業になった自分を空想していました。
幼稚園の先生に始まって、ピアノの先生、ケーキ屋さん、お花屋さん、小学校の先生、通訳、そして建築士。
年齢やその時の興味に応じて、なりたい職業が変わっていました。
今から思えば、その職業のマイナス面が少し見えてくると・・・
それは大変だからや~めた!
と簡単にあきらめ、また別な職業に憧れるということを繰り返していた気がします。
たとえばお花屋さん。
毎日きれいなお花に囲まれていいなぁ~と思っていましたが、冬は水が冷たくて大変な仕事なんだと聞くと、それは無理だ~とあっさりあきらめました。
まったくしょうもない子どもです。
「気張る」とは鹿児島の言葉で「頑張る」ということ。 バリバリ頑張る起業家にはなれないけど、可憐でどこか凛としている・・・そんな女性でいたい! プライベートブログです。
2017年1月16日月曜日
2017年1月12日木曜日
大好きな父、理想の仕事人
私は子どもの頃から父が大好きでした。今でもそれは変わりません。
小さい頃、父が家に居る時は、常に父のひざの上に座っていました。
はっきりとは覚えていないけど、私は体が小さかったので10歳すぎても、父の膝の上が定位置だったような気がします。
お客様がいらして食事をするときも、父が私を呼ぶので、父の膝の上で父とお客様との会話を聞いていました。
私にはいつも優しい父で、私は父に怒られた記憶がありません。
だから、思春期の頃も、父が疎ましいと思ったことはありませんでした。
その分、母には押し入れに入れられたり庭に出されたりと、よく叱られましたが・・
小さい頃、父が家に居る時は、常に父のひざの上に座っていました。
はっきりとは覚えていないけど、私は体が小さかったので10歳すぎても、父の膝の上が定位置だったような気がします。
お客様がいらして食事をするときも、父が私を呼ぶので、父の膝の上で父とお客様との会話を聞いていました。
私にはいつも優しい父で、私は父に怒られた記憶がありません。
だから、思春期の頃も、父が疎ましいと思ったことはありませんでした。
その分、母には押し入れに入れられたり庭に出されたりと、よく叱られましたが・・
2017年1月1日日曜日
2017年元旦に相応しい本に出会えた!
「反応しない練習」 草薙 龍瞬著
昨年、知人が薦めているのを見て買ったけれども、そのまま「積ん読」本として埋もれていました。
年末のお掃除で、「積ん読」状態にあった本を整理しました。
その中から、元旦に読む本をこれに決めました。
特に理由はありません。なんとなく・・・
ブッタの教え、諸行無常の意味、いろいろ誤解していました。
非常に合理的な考え方なんですね。
人を恨んではいけない、すべての人を許しなさい、理不尽な事があっても忘れなさい。
こんな風に考えなければいけないのかと思っていました。
そう考えられない自分は、まだまだ心が狭くて欲が深くてダメな人間なのか・・・と。
その「反応」がマイナスの始まりなんですね。
人を恨んではいけない、すべての人を許しなさい、理不尽な事があっても忘れなさい。
こんな風に考えなければいけないのかと思っていました。
そう考えられない自分は、まだまだ心が狭くて欲が深くてダメな人間なのか・・・と。
その「反応」がマイナスの始まりなんですね。
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